6月初旬、実家に帰省しました。
私の実家は田舎の山の中にあり、新緑が美しく
田植えを終えた田んぼが広がっている静かな農村です。
85歳と83歳の両親は思ったよりも元気そうでした
次男家族も一緒だったので、もうすぐ4歳になる孫と、
生まれて8ヶ月の孫にも会わせることができました。

到着してゆっくり腰をおろしたのも束の間、上の孫が
「なにか~ おもちゃないの~?」
と母に聞いてきました。
母は
「うちは小さい子がおらんから何もないわ~ ん?待てよ・・・」
と、納屋の裏の方へ行き、ゴソゴソと虫採り網を出してきました。
孫は網を手に取ると、うれしそうに庭に走って行き、チョウチョを
追いかけはじめました。

P1010873222.jpg

自分の背丈より長い網は、思うようにいきません。
「誰か手伝ってー!」
と叫んでいます。
そろそろ私の出番かなと思っていたら、母が出て来て
「こうやって採るんよ!」

と孫から網を取り上げ、チョウチョを追いかけはじめました。
『アカン、アカン、こける――(焦)』

内心ドキドキの私・・・
「返して!返して!」
と孫も母を追いかける始末・・・
なんとか1匹のチョウチョを捕まえることができました。
孫はチョウチョを手で掴むと、ジーッとながめたあと、パッと逃がしてしまいました。
どうやら『捕まえたら逃がす』というスタイルのようです。
母にも「こけたら大変やから、もういいよ」と制しましたが
孫はしばらく母の後ろを
「大(おお)ばあば~、大ばあば~」とつきまとっていました。

さて、夕食どき、みんなで食卓を囲んでいます。父はゆっくりとビールを飲んでいます。
強面の父に、孫はそーっと近付き、左そでの刺繍を指して
「何かついてるで!!」と。
何を言うのかと思いきや・・・
「ゴミがついてると思うたんか?ありがとう、よう気がきくのう」
と嬉しそうでした。
どうも、この恐そうな父が気になるようです。
「ごはん、いら~ん」
とグズグズ言い始めた孫にママが困っていると
「じいちゃんと、どっちが先に食べ終わるか競争しようかの?」
と、父が肉じゃがをごはんの上にのせて食べはじめました。
孫は
「大(おお)じいじ、それおいしい?」
と尋ねると、父の横にピタッとくっつき、マネをして食べ始めました。
『大じいじ VS ひ孫』の 肉じゃが丼早喰い対決
は、ひ孫に軍配があがりました。

父は
「かしこいのー かしこいのー」
と何度も繰り返すのでした。

「私らはいつも二人で通夜みたいな食事よ。
今日はよう来てくれたね。 ありがとう。楽しいねー
よう喋ったし、よう笑うた。おじいさんもよう喋る」

と、母がこれまた何回も繰り返します。
一抹の不安はよぎりますが、まあ久々の大にぎわいに、本当に嬉しかったのだと思います。

今回は一泊二日の短い親孝行でしたが、次はもう少し長く滞在しようと考えています。
これから暑い夏が来ます。体調を崩さないよう、マイペースで暮らしてほしいと願っています。



by HOT♡Y

P1010877222.jpg
 < 何がとれたかな? >



2018.06.08

はじめまして

私が水仙の家で働き始めて2ヶ月経ちました。

始めて水仙の家に来たのは採用実習の時で、
その時はとても緊張していて不安でいっぱいだったことを今でも覚えています。


2ヶ月経って少しずつ慣れてきたのですが、まだまだ不安になることが多い日々の中、
利用者の皆さんの笑顔や明るいスタッフの皆さんのおかげで私も楽しく自然と笑顔でいれるようになってきたと思います。

そんな日々のなか入浴中、Nさんが
「今日で〇〇さんに洗ってくれるの2回目やね」
って毎回回数を言ってくださり、私のことを覚えていただいたことが、とても嬉しかったです。


まだまだ、未熟な部分が多いですが笑顔で利用者さんと接することができるようにいきたいと思います。

111.png

Byししゃも





利用者さんの体調と希望・・・
どちらを優先すればよいでしょうか?

いきなり重い問いかけで申し訳ありません。

90歳になられるAさん(女性)
ヘルパーやデイサービスをフルに活用されて一人暮らしをされています。
今はご自分で調理や簡単な家事をされるなど、お元気で生活しておられますが、喘息の持病がおありで誤嚥性肺炎での入院を何度もされる…
など、呼吸器の疾患がとても気になるご利用者さんです。

一方で
「何でも自分でできる!」
「自分の思い通りにしたい!」


というお気持ちも強い方です。
誤嚥の危険が強いため、いろいろな食事制限もあったのですが
「食べる!」
という強い気持ちのもと、言語聴覚士のリハビリを受け、危険と言われた高野豆腐や西瓜もなんとか可能な状態まで回復されています。
寒い地方のご出身のため、冬でも半袖を希望されたり、高層階の自宅の窓を常に開けっぱなしにしようとされたり・・・
(とってもいい風が入りますが、冬は寒い!)

それでも一旦咳がでると、なかなかとまらず入院になることもあります。
入院にならずとも、真っ赤になって苦しまれる様子をみるのは辛いものがあり、また、夜間お一人で苦しまれると思うと、各ヘルパーはなんとか咳が出ないように、毎日体調管理に気を配っています。

誤嚥が主な原因ということもあるのですが、何年かお付き合いをする中でわかってきたのは、
どうも“埃(ほこり)”に弱いということ。
衣装ケースに入れている衣類を探し出して着ておられる後は咳が強い・・・
後見人さんやケアマネジャーさんが来られる時には、ご自分で押入れから客用座布団を出されるのですが、やはりその後には喘鳴が出る・・・
いまさらアレルギーテストをしたいとは思いませんが、ハウスダストは危険信号です。
「ヘルパーに任せて下さい」「お手伝いをします」とお願いしても
「大丈夫!」
「そんなもん自分で出来る!」

とおっしゃるAさんのプライド(誇り)をお止めすることは難しいです。

『“まだ出ない咳”のために“Aさんのやりたいことを止めてしまう”ことがいいことなのか?』
『でも、確実に咳が出て苦しまれる』
ヘルパーの悩みは尽きません。

もう一つの大敵(埃)が、この時期にユーラシア大陸から飛んでくる黄砂です。
先述したとおりAさんは窓を開け放すことが習慣になっているので
だらけですよ~ 閉めませんか?」とお願いしても
「そんなもん大丈夫!」の一言 
で、次の日は咳き込まれます(涙)

Aさんの矜持(誇り)“埃(ほこり)”について、ヘルパーの悩みが今日も始まります。


yjimage[1]

By Kei


ある日の送迎の車中のことです。


「Aさんの家の近くまで帰ってきましたが、道わかりますか?」とお聞きしたら、
「さぁ、どうだか・・・わかるようでわからなくて、だめですね。
この頃の私はだんだんとだめです。」と、ふっと淋しげな目をされました。


私は、「車は動いてスピードがあるので、車内からではわかりにくいですね」と言いつつ、
何か楽しいお話しに切り替えないと、と思いました。



バレンタインデーの時期だったので、Aさんの恋のお話を聞くことにしました。

「お若い頃、お好きな方との思い出はありますか?」とおたずねすると、

「私は好きな人よりバレーボールが大好きでした。」

とニッコリ笑顔。



以前、学生の頃はおてんばでバレーボールばかりの日々だったお話はお伺いしていましたので、
日々の中で今もその面影がありました。


歌を歌えばしっかり手で拍子をとられ、レクリェーションは静かでいながらいつも闘志を持っていらっしゃいます。


風船バレーは特に「ソレー!ソレー!」と、とってもお元気です。




「Aさん、とっても活発でステキですよ。」とお話ししたら

「私はいつも何でも頑張らなきゃと思ってやっていますよ。」と噛みしめるようにおっしゃいました。


とても心に響いたお言葉でした。


スタッフの声かけや介助に「ありがとう、ありがとう」と言ってくださいますが、
ままならない身体、淋しさ、歯がゆさを抱えていらっしゃることを思い、胸がジーっと熱くなりました。


kurumaisu_obaasan[1]



By Peach

2018.03.10

曽祖父のこと

曽祖父の事は、私が幼い頃から
「ひいお爺さんは画家だったけど、若いうちに亡くなって、有名になる事ができなかった」と聞かされ、そう思っていました。
つい最近までは・・・

ふと気まぐれに曽祖父の名をインターネットで検索してみたところ、
ある博物館が地元に縁のある画家として紹介している動画を見つけました。
そして私は、曽祖父がどのような人であったのか、改めて知る事となったのです。

画号は「高橋(たかはし)廣湖(こうこ)」
早世した人なのでその名をご存じの方はほとんどおられないと思います。

しかしながら、この人はなかなかに面白い略歴の持ち主です。


本名は浦田(うらた)久馬記(くまき)。熊本県の画家の家系に生まれ、父、浦田長次郎の元で絵を学ぶ。
熊本に巡業に来ていた劇団の座長に画力を認められ、上京。
この座長の名は、高橋こう。吉原の花魁(おいらん)を引退した後に一座を立ち上げ、当時はかなりの有名人で、木戸孝允と交流があった。
上京した久馬記は妻とともに高橋家の養子となり、高橋廣湖の号を名乗る。その頃に弟子であった堅山(かたやま)南風(なんぷう)氏は、廣湖亡き後は横山大観氏に師事し、後年文化勲章を受章される。




と、ここまでの経歴は知っていたのですが、博物館の動画を拝見して、それまで知らなかった曽祖父の姿が浮かび上がってきたのです。

高橋廣湖は東京・千住の地に縁が深い画家であったそうです。その昔、千住は近郊で採れた農作物の流通拠点で、問屋の旦那衆は午前中に商いが終わる為、午後は趣味の時間として使う事ができたそうです。芸術・文化への関心が高く新進の絵師や文人への支援を惜しまない旦那衆も多かったそうで、当時の千住には廣湖を支援する「芳廣会」という会もあったそうです。

我が家には曽祖父の作品が、前出の堅山南風氏が画商より買い戻し私の祖母、母に贈ってくださった物も含め何点か残されており、母、妹と相談して、これらを博物館の方に見ていただこう、という話になりました。探してみると、案外沢山の掛軸等が残っており、妹と2人、それらを抱えて新幹線に乗ったのが3年前の事でした。

111.jpg


222.jpg


博物館の方は、持参した曽祖父の作品をご覧になりとても喜んでくださいましたし、私たちは博物館の研究報告を拝見して千住と高橋廣湖の深い関わりを初めて知り、双方驚きの連続となりました。

博物館には、地元の旧家に残されていた古い絵画が持ち込まれる事も多く、現在あまり知られていない画家の作品が何点も出てくるそうで、廣湖の作品もその中に含まれていました。千住の青物問屋の旦那衆が廣湖を支援してくださっていた事の証なのでしょう。

生前の廣湖は決して無名という訳ではなく、今後の活躍を期待されながらも病に倒れ、惜しまれつつこの世を去ったそうで、当時の新聞にも取り上げられていたようです。
師匠であった松本楓(ふう)湖(こ)氏から廣湖の画号を授かり、その腕前は岡倉天心にも認められる程であったという事も、私たちは初めて知ったのです。

持ち込んだ掛軸は資料として預かっていただき、少し月日が流れた昨年の事、博物館の方から、文化遺産調査企画展を開催し、実家から持って行った作品も展示されるとのお知らせをいただきました。

そして11月、私と妹は、



文化遺産調査企画展
「高橋廣湖 - 千住に愛された日本画家 -」




を、この目で見る為に再び東京へと向い、少し息苦しいような緊張感に囚われながら博物館の門をくぐりました。

思っていたより多くの作品が展示されており、傷んでいた掛軸の数々は綺麗に修復され、ガラスの向こうで堂々と背筋を伸ばして立っているようにすら見えました。
実家で埃に埋もれていたこれらの作品を、思いがけず光の当たる場所へと出す事ができ、
とても大きな肩の荷を下ろせたような安堵を感じました。

その後、博物館の方よりお便りをいただき、専門の研究者の方からの問合せや図録の注文が何件かあり、今後ますます注目されていくだろうと記されていました。

これから先、世間ではどのように評価されていくものかは予測がつきませんが、私の中では「絵描きだった曽祖父」が「画家 高橋廣湖」となり、誇らしくも、少し寂しいような清々しさを感じています。


333.jpg


by Yuki

追記:ウィキペディアでも紹介されています。下記、URLです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%BB%A3%E6%B9%96

プロフィール

水仙の家

Author:水仙の家
職員が持ち回りで、その時に思ったこと感じたことを綴っていきます。
【ホームページ】水仙の家

最新記事

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

QRコード

QR

リンク

Copyright ©水仙の家. Powered by FC2 Blog. Template by eriraha.

FC2Ad